行動

当社が、ご依頼者であるお客様に提出する素行調査報告書の作成要領です。

1. 調査資料
【調査対象者】
氏 名               
住 所 
電 話           
勤務先 
所在地
電 話
使用車   
【調査結果】(ご依頼の主旨に対し、調査の結果をまず的確に表記)
2. 調査結果(経緯)
左欄に分刻みによる時間の経過。右欄に時間に即した対象者の詳細な行動。立ち寄った建物の名称及び所在地。接触した人物の特徴などを記載。

<例>
調査経緯
平成15年8月8日(金曜日)第1日目
対象者 田所 敏哉 40歳 の4人家族
目 的 立ち寄り先及び行動確認
本人の外出(出勤)に備え、張り込みを開始する。
同所は、JR山奥線「田舎駅」南西約1キロメートル、同駅より車で30分内外、山猿商店街より南に逸れた住宅街の一画に所在する。築相当年数を経たと思われる木造2階建ての住居で、入り口右手門柱に挟まれた木枠に小さく「田所」と表札が出ている。建物周りは、背丈程のコンクリートブロックで囲われており、ブロックから家屋の2階部分が突出している格好である。4メートル程の農道に面し、家屋の東側に位置し車庫と共有する出入口から敷地内を望むと、正面に格子状の引き戸が確認される。引き戸に張られたガラスは、所々にひびが入り、上からテープで補修されている。建物外壁は、全面ベニヤ状の板で覆われ、確認できる範囲では、至る所に雨水が染み込んでできた様な腐蝕が見られる。建物全体老朽化が進み、世の不景気感と同調するかの如く経済的な困窮が容易に想像できる程である。 
猫の額ほどの庭には植物等の植木はなく、雑草で荒れ放題である。全体的に全く手入れを諦めたと云った印象である。正面引き戸右手には、奥に延びる縦長の空きスペースがあり、当該対象車両である「山猿99ち12-12」(以下文中本人車と称す)グレーのバンが駐車されていた。
本日薄曇りの天気の中、2階南側に面した窓には、無数の洗濯物が干されているが、建物内部の様子が伺えない為、人物在宅の有無は確認できない。(建物及び周辺の詳細はビデオを参照の事) 
近隣居住者によると、夫婦共に仕事を持ち、日中留守がちとされ、高校2年と中学2年の二人の子供が鍵を持ち、早めに帰宅しているという情報もある。近隣者も互いに仕事を持ち、帰宅は薄暗くなった夕方過ぎとされ、その為、姿を見掛ける機会もほとんどないようである。本人の仕事は近隣も存知されてないが、日中車が自宅前路上に停まっている時もあり不規則の様だとされ、たまの休日顔を合わせると軽く会釈する程度で、朗らかだとされる外見の印象しか得られない。ある主婦によれば「家が留守の時、回覧板を届けて貰っている。互いに仕事を持っており、それほど行き会うこともない。たまに見掛ける姿からは、いつもきちんとしたスーツ姿で砕けた印象はない。言葉遣いも穏やかで明るい感じの人。時折、車が家の前に停まっている。」等と話している。
地元町内会には加入しているが、時間が不定期な為か会合に出席することも少ない様子である。それが、尚一層近隣との交流を遠ざけることにもなっており、詳細なる情報を持つ近隣は存在しない。

06:00  これより本人の動向に備え自宅出入口が見える場所にて張り込みを開始する。
  :20  田畑の作業に向かうと思われる農夫の姿が確認されるが、本人の外出はない。
06:53  本人宅敷地より本人車(グレーのバン)が出る。車内には、本人と思われるハンドルを握る男性が単身で乗車。
       これより追跡を開始する。
07:04  本人車は、敷地を出て左折。建物に面した農道をゆっくりとしたスピードで北上する。
  :23  しばらく走行後、農道に面したコンビニエンスストア「案山子」(山奥郡大字山猿町字谷川1212番地)敷地内駐車場
       に車を停め店内に入る。本人の身長は177センチ内外で中肉、上下紺のスーツを着用し、靴は黒。髪はショートで真
      ん中分け。手には黒の手提げカバンを所持している。
  :25  店内では、100円のおにぎり2個にペットボトルのお茶、週刊誌を購入する。買う物に対し特別迷わず、まっすぐおにぎ
       りの棚に向かう姿から、いつもと変わらない、本人の生活のパターンが伺えると同時にあれこれと迷うことを好まない
       せっかちな一面も垣間見た。
07:31  同コンビニエンスストア「案山子」より、鞄と白いビニール袋を手にした本人が出て、停めてあった本人車に乗車し、
       直ぐに発進する。
  :35  本人車は更に農道を北上する。車内でおにぎりを食べているのか、車は更にゆっくりとしたスピードである。

等と云った報告内容に成りますが、弊社は調査の最中、ビデオテープにて男女の接触場面等の決定的な場面のみならず、調査の一部終始を全部記録しておりますので、報告書と併用して活用頂けます。
 尚、裁判の資料としてビデオの提出は認められてませんので、その際は、テープから写真に加工してお渡しします。

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身元

当社が、ご依頼者であるお客様に提出する身元調査報告書の作成要領です。
1. 調査結果(ご依頼の主旨に対し、調査の結果(所見)をまず的確に表記)
1)本人について
  氏  名
  生年月日
  本籍地    
  現住所    
  電話番号
  職  業
  所在地    
  電話番号
2)経歴
(出生時から現在に至るまでの学歴及び職歴に付いての詳細な年月と具体的名称・所在地)
経歴の概要(上記経歴の細部に渡る詳細)
  (学歴及び職歴に分け、学歴は出生当時から、生家の場所及び中心部からの位置、地域産業、家業、家人の性質、経済的状況、近隣との交流度合、生家の家屋概要等生育環境、本人の幼少時からの行動変移)職歴は(最終学歴後の就職先での入社及び退職動向。各所での勤務状況<就職時に於ける調査項目の詳細は別記>)
3)性格
(まず現在思慮される性格の記述。それと付随し、幼少時から現在に至る迄の性格・性質の移り変わり及び性癖。学生、社会人での本人の性格が現れるエピソード)
4)生活状況
(現在までの住居遍歴による各所での最寄り駅から当該家屋までの道順、交通手段、住環境、当該建物の概要、所有状況、築年数、居住年数、管理不動産、家主、居住人数、名義人、間取り、家賃及びローンの支払い状況、近隣との交流度合及び近隣評、出勤及び帰宅時間、人の出入り、休日の様子等心理分析)
5)素行・交友関係
 (生活環境に於ける行動調査から推察される以外の見解。異性を含めた交際相手の特定並びに交友状況)
6)思想・宗教
 (項目に準ずる)
7)趣味・資格・酒肴
 (項目に準ずる)
8)勤務状況
(入社期日、紹介者、在校年月、最終学歴、得意不得意科目、社内に於ける性格・素行・思想、学園活動状況、本籍地・現住所・前職場歴、賞罰、特技、財産、社内貯金、健康診断書、地位と将来性、上司・同僚の評価)

2.家族について
(家族・兄弟及び親戚に関しても本人事項の各項目同様、調査指定項目に従い、家族の住所・家族構成・続柄・氏名・年齢、職業等中心に確認。結婚などで別居している場合も同様)

以上の様な現地踏査による身元(結婚)調査の報告書は、業界でも随一の詳細を誇り、B5版にして25桁×30行で平均25頁から30頁にも及びます。

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企業

※以下のデータは見本です。全10ページあるレポートのうち2ページを抜粋してご紹介いたします。

REPORT 企業概要 1
フリガナ
ミホンギギョウ
フリガナ
ミホンタロウ
商号
見本企業 株式会社
代表者
見本 太郎
昭和10年(1935年)3月6日生
英文商号
SAMPLE LTD
所在地
〒105-0004
東京都港区西新橋1-6-5
一新ビル
電話番号
03-8888-8888
FAX
03-8888-8888
【登記上本社住所】  表記地
資本金
200,000千円   [1株 500円 授権株数  800,000株]
主要株主
東京見本投資社、見本正太郎、見本 太郎、見本 次郎、見本 三郎
系列
東京見本投資社 (資本関係)
上場区分
未上場
従業員数
350名 [他に臨時 12名]
工場数
1ヵ所
事業所数
22ヵ所
設立
昭和29年4月
創業
昭和29年4月
最近3ヶ月
平均月間
700,000千円
沿革
[前住所] 昭和49年8月移転 (東京都港区三田1-1-1)
[前商号] 昭和58年6月変更 (見本産業㈱)
昭和29年4月現会長見本正太郎氏が中心となり、東京都港区三田1丁目において資本金100万を以って
見本産業㈱を設立。その後、数次の増資を経て同38年5月5千万円に増資するとともに、同年厚木工場を
開設。同年49年8月には1億5千万円に増資、同時に現所在地に本社移転。同54年7月東京見本投資社㈱
の資本参加を得て現資本金とし、同58年6月商号を見本企業㈱に変更し今日に至る。
質権譲渡登記無し
許可登録 特記するもの無し
事業内容
各種産業用機械器具の製造
主要仕入先
ヤマキ商事、ノリック、勝又商事、三浦製作所
主要販売先
神奈川機械、岩山島重厚、アジア製鉄、山本鉄工所
取引銀行
見本銀行(新橋) 神奈川信用(三田) 東京勧業(新橋)
取引状況
固定預金
長期借入金
短期借入金
割引手形
(単位)
540,000
1,990,000
1,200,000
400,000
千円
決算期   
売上高 千円
利益金(*印は税金) 千円
配当 %
申告所得
千円
決算書送付
平成9年3月(1997年)
9,315,450
150,660
10.0
332,123
平成10年3月(1998年)
9,685,500
135,480
10.0
319,715
平成11年3月(1999年)
9,323,680
86,450
10.0
209,045
所見
既往の好業績により財務体質は強固なものがあり、近時東南アジア向け輸出に動きが見られるが、
総じて 需給は緩慢。採算面で大きく後退しており当面多くを期待できない。
企業診断
(評点)
経営者能力
成長性
安定性
公開性・総合世評
合計
[100点]
1 警戒不要 80~100点
[20点]
[25点]
[45点]
[10点]
2 無難 65~79点
資産担保能力
売上高伸長性
業歴・自己資本
資料公開状況
3 多少注意 50~64点
経営姿勢
利益伸長性
決済状況・金融取引
総合世評
4 一応警戒 30~49点
事業経験
商品市場性
担保余力・取引関係
  
5 警戒 29点以下
12点
14点
29点
7点
62点
 
 
支社店コード
企業コード
CD
整理番号
調査年月日
  
  
98
999999999
7
A123456
平成11年9月3日
  
  



REPORT 経営者・役員・株主 2
フリガナ
ミホン タロウ   昭和10年(1935年)3月6日生
氏名
見本 太郎   電話番号 (非公開)
現住所
〒105-0004 東京都港区西新橋1-6-5
出身地
東京都 人物 1.創業者 2.同族継承 3.内部昇格 4.外部招聘
配偶者
1.有 2.無 3.不明 趣味 読書 楽器演奏 ゴルフ
学歴
昭和28年 東京都立第四高等学校                    1.卒業 2.中退
昭和34年 東京芝浦工業大学工学部機械工学科           1.卒業 2.中退
斯業経験
40年 事業経験 6年
倒産歴
無(       )
申告納税額
平成9年(  10,234千円) 平成10年(  13,874千円)
経歴・公職・関連事業・その他・・・・・・
昭和34年学卒と同時に「IIICI産業」入社。同45年6月当社に転じ、斯業経験を積み、同年56年12月取締役に就任、生産
部門を担当。同60年12月常務取締役就任、NC事業本部を担当。昭和62年12月専務取締役就任、統括営業本部を担当。
平成4年12月代表取締役社長に就任して、今日に至る。
公職としては、東京都産業機械協議会会長であり、歴任している。
 
 
個人資産状況・・・[自宅住居:1.個人本人・家族)名義 2.社宅 3.公団 4.借家 5.借マンション 6.アパート 7.その他]
現住所の土地179平方メートル、建物275平方メートルを代表者個人名義で所有。この他神奈川県箱根町の別荘に土地
・建物を一族名義で所有。所有不動産はいずれも担保設定が無い。
役員
役名
*
[*印=非常勤] 氏名 (担当業務・その他)
持株単位(㈱
代表取締役
 
見本 正太郎(会長:前代表取締役社長で社長の実父)
400
代表取締役
 
見本 太郎  (社長)
200
取締役
 
見本 次郎  (専務:生産統括本部長)
250
取締役
 
見本 三郎  (常務:営業統括本部長)
200
取締役
 
見本 四郎  (厚木工場長)
200
常任監査役
 
見本 五郎
200
監査役
*
見本 六郎
200
       
       
役員外主要株主
株主名
持株単位(㈱
 
株主名
持株単位(㈱
東京見本投資社㈱
1,000
 
 
 
従業員持株会
50
 
 
 
         
株主総数 30名(平成11年6月30日現在) 形態 1.同族 2.非同族 3.公募 広告方法 日本経済新聞
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調査エピソード

ケース1

 調査業に長年携わっていると、時として神懸かりに思え、背筋が寒々しく思えることがある。
 今から記す内容は、まさしくその事を裏付ける出来事であり、まるで死者の魂が調査員の身体を借りて、依頼者の目的に向かわせたとでも思える案件であった。
 それは、日差しが身にしみる真夏の暑い日のことである。
50歳代初老の婦人が当社を突然訪れ、「墓を探してほしい。」と言う。要領を得られぬまま辛抱強く耳を傾けていると次のような内容であった。依頼者は都内在住で、物腰が柔らかく、高価そうな服を身につけた生活にもゆとりを感じさせる婦人であるが、相続問題が起因した実姉とのいざこざで、実母がなくなったことも、葬儀場すら教えてもらえない始末であった。いくら姉との確執があったとしても、実母の墓の場所を知らないのではいたたまれず、これまで何度も弁護士を通じて姉に哀願してきたが、全く聞き入れてもらえなかったという。
 そこで、前記の婦人は、身内の恥じを晒すことも覚悟の上で、当社のドアをたたいたという経緯であった。
 人を探す事に掛けては手馴れていても、事「墓」の場所となると全く経験がなく、どんなものか見当もつかぬまま、とりあえず姉の住居周辺や公簿書類、果てには、姉やその関係者に根気強く聴取を続けたが、思いの外、姉側のガードが固く、依頼を受けてから、丸2ヶ月が経過した。当然すぎる事ながら墓の場所は、それを知る人物から入手しないと判明しない。その人物が、頑としてガードを固めているとなると、もうお手上げ状態である。せめておおよそのエリアだけでも判れば、片っ端から当たることも出来るが、それもできずじまいである。調査経緯で判ったことだが、埋葬場所(墓の場所)は、墓の場所を移す改葬の場合と異なり、特別管轄の役所へ届けの義務もなく、その為、埋葬場所に関しては記録も残っていない。
 やむなく、これまでの経緯と今後の進展の期待も持てない旨伝えると、予期していたのか依頼者自身も納得はするが、どうしても諦めがつかない様子であり、再度懇願されてしまった。
 新たな展望も見出せぬまま、これまでの経緯を振り返り、着眼点はないか検討してみるが、同様である。
 あれこれ思案しても良案は浮かばず、やむなく重い腰を上げ、再度当初に戻り、依頼者から委任状を受け取り、母親が生前居住していた当該の役所へ向かった。ご存知の事と思うが、人が死亡すると茶毘に伏せるための「火葬許可証」と納骨のための「埋葬許可証」を発行してもらう。
前者は、役所に記録が残るが、後者は特別記録はない。当方が欲しいのは後者の方であるが、回り道としては思えても記録が残る前者から当たるしかない。あらかじめ断っておくが、当初も当該の役所で「火葬許可証」を入手すべく努めたが、特殊な証明書故、前例がなく断られてしまったという経緯がある。尚、両者は便宜上、「死体火葬許可証」一枚で処理する場合が一般的となっている。火葬場所は決定しているが、埋葬場所に関しては、故人の宗派や親族の意志等により、決まっていない場合がある為という。
再度委任状を提示し、粘り強く事情説明を行ったところ、やっとの思いで証明書を受け取る事ができた。ここで、前回よりは一歩前進したことになる。この証明書には、死亡者氏名・生前住所・死亡年月などが記載されている。この程度は当然依頼者の情報にもあり、真新しいものではない。ただ、もうひとつ「どこの斎場で茶毘に付されたか」を除いては。この唯一の頼みとも思える斎場の名前と場所を入手した当方は、焦る気持ちを抑え斎場へ向かった。
 これまで、斎場などとんと縁がなく、想像した事もなかったが、訪れると日に朝から夕刻までぎっちり予定が詰まり、日にこれだけの人が亡くなっているのかと感慨を受け、大きな煙突からはもくもくと煙が立ち昇っている状況である。何か言い知れぬ神妙な気持ちのまま、受付を訪ね、訪問の主旨を伝えると、当初怪訝な顔つきであったが、後日の連絡を交わし、同所をあとにした。
 待つこと数日、斎場からの連絡はあった。「何月何日、確かに当方で受け付けています。当日は極内々だけの少人数の方がいらしていたのを覚えており、密葬的な様相でした。その後は当然、埋葬されたことと思いますが、詳しい事は判りません。」といった内容であった。予期した事ながら、事の経緯を目の当たりに聞くと、日に何組もの火葬を受け持ち、個々の流れにさしたる感銘も受けず、特別な印象も残っていないのは仕方のないことかもしれない。と同時に墓探しの道も途絶えてしまった。
 事の次第を依頼者に報告しなければならないが、どうも気が重い。八方塞がりであり、他に手だてが思いつかず、思考も固まらない状態である。諦めムードが漂っているが、報告書を作成するにしても前回とさしたる変化もなく、依頼者の悲痛な顔が浮かんでくる。
 せめて最後に、当日の会葬者に見知った人は居なかったかどうか、その日の斎場の担当者に直に会い、その結果、調査を打ち切ることを決心し、再び斎場へ向かった。

 既に火葬日時が判っていた為、前回の訪問時よりかスムーズに事が運び、幸いにも当時の担当者が居てくれた。担当者の話も電話内容とほぼ同じであり、参列者にも見知った人は居なかったらしく、耳目を引く話は聞かれなかったが、この担当者は葬儀一式を受け持った葬儀社の名前を記憶していた。
 この葬儀社は、冠婚葬祭事業全般を行い、全国的にも名前が知られている大手である。葬儀だけでも日に何組も受け持っている。
事前に連絡し、当時の担当者を聞く事も考えたが、当方に残された唯一の情報源であり、下手に小細工をせず、直接訪れる事にした。
 都内の一等地に建つビルの入り口には、中小の同業他社を威圧するかの如く、大きな社名を冠し、ロビーには受付まで設けてある。
 火葬場同様、葬儀社にはとんと縁のない当方が、この会社の社員の一人から、数ヶ月前のそれも書類上には残らない埋葬場所をたどらなければならない。全て当人の記憶に頼らなければならない事であり、全く持って憂鬱な気持ちになってくる。まず、受付を通じ、葬儀内容の問い合わせをする。すると、担当者を呼んでくれ、応接室に案内された。話を切り出すタイミングが問題であり、「客ではない」と判断されると態度が一変する事だって考えられる。いかにも葬儀一切の依頼をするかの如く興味を引きつつ、「ふと思い出したかのように」切り出した。「そういえば最近、私の知り合いもここで葬儀を行っているはずですが。」すると当然「どなたでしょう」と返ってくる。後はこちらのペースで話を進め、当時の担当者のリストを持ってきて調べてくれた。結果、式を取り仕切った担当者は、当日不在であり、担当者名を記憶に留め、同社を後にした。
 当方に残された唯一の情報、長い日数を経てようやくたどり着いた、たった一人の氏名。しかしながら、この人物がはたして葬儀場所を承知しているものなのか。すでに数ヶ月を経過している。日に何組もの葬儀を担当し、全く記憶にない事かもしれない。一刻も早く話を聞きたいはやる気持ちと駄目かもしれない深憂が交錯する。
 あれこれと考え倦ねたが、結論が出ない。下手な小細工も当人が知らなければ意味を為さない。結局、正面からぶつかることにした。
 すると、当方の意に反し、当人の口からいとも簡単に埋葬場所のヒントが伝えられた。散々苦労しても判る時はこんなものである。
 事の経緯は全くの偶然らしい。通常、火葬が終われば遺骨を渡し担当業務は終わり、次の予定に移行するらしいが、その時はたまたま参列者の中に顔見知りがおり、その者との話の中に埋葬場所が出たと言うことである。かなりの日数が経過しており、記憶の断片を辿って貰うと「港区内のお寺・それも麻布近郊」という情報が得られた。あとはこの担当者の記憶の確かさを信じ、該当地域を端から当たれる事になるが、周知の如く港区内には多数のお寺が点在している。そのお寺のひとつに当方の目指すものはあった。「確かにうちにお墓がありますよ」と話す住職の声が、まさに神様の声に思えたものである。

以上。

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